とある男子大学院生のブログ

一橋大学国際・公共政策大学院(一橋IPP)を修了しました。大学院の受験勉強や大学院ライフ、趣味のことなど、色々なことを綴っていきます。

「大学院進学」を選ぶまでI ~学部3、4年生での選択~

 

こんにちは。

久しぶりの更新になります。

 

 

今回からはいくつかパートに分けて、どうして私が一度就職した会社をやめてまで大学院に行こうとしたのか、そのきっかけや経緯を書いてみます。

 

 

前々からこのブログを見てくださっている方、「大学院行こうかな~」とぼんやり考えている方、たまたまこのブログにたどり着いた方、どの進路をとるべきか決断できていない方。。。幅広い方の、なにかしらお役に立てればなと思います。

 

 

ただ綴るのではなく、要所ごとに、気づいたことやアドバイスなどを同時にお伝えしたいとも思っております。

 

 

Part 1. 学部3、4年生~就職か、大学院か~

 

 

院進という選択肢が初めて浮かんだのは大学3年生。国際関係論を専門に学ぶゼミに入室し、関連する授業を多く履修するようになりました(国際経済史など)。特に秋に履修した「国際政治学」がとても面白く、「この学問って、すごく面白い!」と強く思ったのは今でも覚えています。多分、院進に本格的に興味を持ったのはこの頃でした。

 

ゼミの教授に相談しにいったところ、「進学するならアメリカの大学院にいってください」という、今でも印象に残っている言葉を伝えられます。教授曰く、ネームバリューやアカデミックの価値的に、日本の大学院を出ても余り意味がない、など予想外のことを率直に伝えてくださいました。(なお、同様のことを別の教授からも言われました。)

 

※実際、国際政治学や国際関係論が第1次世界大戦後のアメリカを発祥としてうまれたという背景があります。そういったバックグランドがある以上、学問の積み重ね的には、やはりアメリカが主流なんだなと感じたことは、一橋IPP時代に実際に何度かありました。

 

 

学部2年の時、アメリカで留学経験があった筆者にとって、「アメリカの大学院」という選択肢に、言葉自体には惹かれるものがありました。ただ、当時は学費も留学費も家族に出してもらっていたこと、給付型奨学金は受け取っていたのですが貸与型の奨学金を一気に増やすことにどこかしら抵抗がありました。

 

 

当時20代前半でしたが、あの時は本っっっ当に進路に悩んでいました。

優柔不断な性格も重なり、きっぱり決めることができませんでした。

当時は院進にしろ、教職にしろ、就活にしろ、迷いなく決断できる周りの人たちが

羨ましく感じていました。

 

 

結局、当時は「就職」の選択肢を選びました。自分でお金を稼ぐ経験をしてみたいなど、理由はいくつかありましたが、就活に集中することにしました。最終的にとある学習塾から内定を頂き、新卒で塾講師として勤めることになりました。

 

 

※当時の自分に会えて、アドバイスできるのであれば・・・

「とにかく、自分の手と足を沢山動かして情報を集めて!」

  当時に戻れるなら時間を無理矢理作ってでも、現役院生の方の話を聞きに行ったり、日本やアメリカの大学院の説明会に申し込んでいったり、アメリカの大学院にこだわる理由は何なのか?日本の大学院もしっかりリサーチしろよ、と言います。とにかく、ネットの情報だけを見て、勝手に頭で悶々とするな、大学生だろ、時間なんて作ればいくらでも作れるんだから、もっと外出て情報を集めなさい、と言います。あと、結局就活にしろ院進にしろ準備時間が大切だから、どちらにするか期限決めたほうがいい、とも言います。

 

そんな経緯があったこともあり、社会人生活がスタートした後でも、「本当にこの選択でよかったのかな・・・」と悶々としていたり、「大学院進学」「アメリカの大学院」という言葉が頭の中で残り続けていました。

 

 

 

Part.2へ続く